p.233
あんたも３０年や４０年生きてきてるんだろ。なに、がたがた、あがいてるんだよ。
世の中が自分の思い通りにならないってね。そんなの当たり前なんだよ。
当然のことなんだよ。わざわざ、口に出すほどのもんでもないさ。あたしゃ、もう、
そんなことにはあきあきしてるんだ」
そうだ、あきあきしている。うんざりしているんだ。だが、そんなものなんだ。
そんな世界を許すしかないのだ。だれもそこから、逃げ出すわけにはいかないのだから。
「わかってる。わかってるよ。でも、それでもどうしても欲しいものはあるんだ。
いちばん大切なものだけは、手に入れたいんだ」
「いちばん大切なものなんかじゃない。あんたは、その一子さんを、自分のものに
することだけを考えている.そんなのは、いちばん大切なことなんかじゃないんだ。
２番目か、３番目のことだ」
わたしは彼の反論も聞かずに続けた。
「人を好きになって，いちばん大切なことは、その人が自分のものになるかならないか
じゃない。いちばん大切なのは，その人が、その人らしいやり方で、毎日を過ごせるか
なんだ。そんなこともわからないのかい」
p.248
理屈ではわかっている。わたしは大部屋の仕事に誇りを持っている。
だが、その夢はわたしの胸をかき乱した。
それは、役者の業だ。どんなに苦しくても、いや、苦しいからこそ，舞台の
真ん中に立ちたい.痛いほど客の視線を浴びたい。足がふるえ、声がふるえ、眼を見開くことが
できないほどの、高ぶりを感じたい。
引きむしろうとしても、捨て去ろうとしても、その気持ちはわたしから離れない。
逃げれば逃げるほど、深くわたしを掴む。
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